◆サッカーの社会性
私は学生時代サッカーをしていたので、サッカーについて少しは詳しい。サッカーは、イギリスで生まれたスポーツであるが、最初は囚人の頭部を刑務所から刑務所を蹴り合ってゴールを競うというなんとも野蛮なことをしていたという歴史がある。それが、ルールを決めグランドでお互いゴールを競うというスポーツに進化し、イギリスではジェントルマンのスポーツとまで言われるようにまでになった。つまりサッカーがうまいだけでなく、社会人として尊敬される人間性までもが求められるようになってきた。それは、スポーツ選手という前に一人の社会人であるということである。そして、スポーツ選手が社会に与える影響とりわけサッカー選手にあこがれる青少年への影響がきわめて大きいからである。
◆マイク・タイソン
かつてアメリカにマイク・タンソンというとてつもないボクサーがいた。デビュー戦から、ノンストップでヘビー戦チャンピオンへと駆け上がり、ついにはWBA、WBO、IBFという三つの団体のトップつまり統一チャンピオンになった。その試合のほとんどが1ラウンドKOだからすさまじい。ブリックリンの不良少年がボクシングと出会いアメリカンドリームをつかむが、その過激な言動や行動は自らを転落させていくことになる。試合で相手の耳をかじりついた話はあまりに有名である。人々は彼を「強い」と認めるが尊敬はされなかった。社会人として失格の烙印を押されてしまった。
◆結果だけを求めると
先日のWBCフライ級タイトルマッチ戦のリング場で繰り返された一連の反則行為に対して亀田大毅選手に厳罰が下された。私はこの件について先のマイク・タイソンのことが頭をよぎった。ボクシングが単なる殴り合いからスポーツへ進化したのはルールに基づいて戦うからで、先のサッカーと同じような経緯があったことが推測される。この反則行為は、手段を選ばずに「勝つ」ことに執着したことによりやったことであり、ある意味「結果主義」の当然の帰結と言えよう。ルールに則って勝負を決める。負けたら相手に勝つために自分を磨く、お互いの切磋琢磨がさらにお互いの技術と精神性を高め、さらにスポーツとして昇華させていく。「勝てば世間が振り向いてくれる」と勝つことだけにこだわった亀田選手の父親である史朗氏の一連の発言を聞いても、今回の騒動は起こりうくべくして起こったように思う。年上の王者をゴキブリ呼ばわりし「負ければ切腹」と豪語したにも関わらず、記者会見では何も言えない若者に男らしさはみじんも感じられなかった。数日後、大毅選手の謝罪をうけたチャンピオン内藤大助選手の「謝罪をうけたので、なんとも思っていない。若いのでこれからも頑張ってほしい。」と伝えたと報道されたが、真の男らしさとは何かを示してくれた。
◆スポーツの原点
さらに、オリンピックロサンゼルス大会柔道決勝での柔道家の山下泰裕氏とラシュワン氏のことを書いておきたい。山下選手は、先の試合で足を痛めて決勝戦も危ぶまれていた。相手のラシュワン選手(エジプト)はこの山下選手の痛めている足をせめず、山下選手の横四方固めに破れるが、このラシュワン選手の「手段を選んだ」戦い方は、のちのちまで語り継がれ、エジプトの英雄になった。柔道家としての誇り、「正々堂々」と戦うことがスポーツの原点だと我々に示してくれた。
亀田父子の騒動は、結果を求める前に、社会的なルールを守って手段を選ぶ勇気、人間としての品格が大切だと、改めて私達に再確認させてくれた良い機会でもあった。
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