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塾長のコラム

お遍路日誌 その2 平成17年

お遍路日誌(その2)
平成17年8月13日

◆「かなりのお年だとおもいますが・・・」と言われて
 
朝6時に起床。食事を歩きお偏路さんと一緒にとり、7時前に出発した。歩きお遍路さんは先に出発しそれを追う形となった。浦の内湾に沿って海岸線を走る。途中歩きお遍路さんに追いつき、声をかける。23号線に合流し山道を登る。鳥坂ズイドを抜けて56号線に入る。大きなドライブインの自販機のあるところに立ち寄る。タバコを吸っている40歳前後のサイクリストが話しかけてきた。
  「お顔を拝見すると、かなりのお年だと思いますが、自転車でまわっておられるとはスゴイですね。我々若いものの励みになります。」と。「かなりのお年だと思いますが・・・」というところに少しカチンときたのであるが、平静を装って「ありがとう」と答えた。「先生、四捨五入すると60やで」という塾生達の声が頭の上から聞こえてきた。自分自身の気持ちはまだまだ若いと思っていても、年寄りには違いない。私自身も三浦敬三さんを目標としているので、年上の人を目標とするのは至極自然なことであると自分を納得させた。

◆100歳の現役スキーヤー
 
三浦敬三さんはプロスキーヤーの三浦雄一郎さんのお父さんで、100歳になった今も現役のスキーヤーである。私も100歳まで現役のスキーヤーでいようと思っている。でも、三浦敬三さんのような食事、トレーニングが充分できるか疑問であるが、一歩でも近づきたい。(今年の2月に肩の靭帯を痛めているのに、まだまだ懲りずにそう思うのはまだまだ元気ということか。)最近玄米食に変えたのは、そういう気持ちのあらわれに違いない。くだんのサイクリストは海岸線をゆっくりと走るのが好きで四国に何回も来ているとのこと。「お遍路みたいに目的を持って走るのも面白いですよ。」とアドバイスし、色々詮索されないようそくさくと自販機のもとを離れた。

◆難攻七子峠
 
56号線を七子峠めざして約15キロを延々と登る。峠まで10個のトンネルをくぐる。この間水補給のため自販機にひんぱんに立ち寄る。朝方、比較的涼しかったのが七子峠の手前からカンカン照りに。アイスクリーム売りが小さなパラソルを立てて客をまっている。昨年はこのようなアイスクリーム売りは見たことがなかったなあと思いつつアイスクリームを食べる。
  今回のお遍路ではこのアイスクリーム屋にかなり頻繁に立ち寄ることになった。コンクリートジャングルのまさにオアシスだ。七子峠から眺めると山間を道が蛇行しているのが見える。苦労しただけによけいに絶景に見える。岩本寺のある窪川までは下りで超快適であった。延々と登ってもいつかはくだりになる。だから何とかがんばれる。峠はまだか〜、まだか〜と思いつつペダルをこぐ。

◆折りたたみ自転車の人に再会
 岩本寺で昨日清滝寺の下りで出会った折りたたみ自転車の人に再会した。彼は輪行と電車でお遍路を続けると言っていた。マウンテンバイクでも苦戦しているのに折りたたみ自転車では少し無謀だと言おうとしたが、それをのみ込んだ。五戒である。(五戒とは不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句を戒めること。)56号線を土佐清水に向け西へ海岸線を走る。途中土佐くろしお鉄道の一両で走る列車と並走することもあった。道路は左が崖で眼下に海を見ながら進む。途中峠にあるうどん屋で昼食をとる。アップダウンを繰り返しながら逢坂峠をめざす。

◆四万十川ウルトラマラソンの懐かしい思い出
 
峠を下って四万十(しまんと)市(旧中村市)に入る。5年前四万十川ウルトラマラソンで来たときは中村市であったが統合されたらしい。かってあったものが無くなっているのはなんとなく寂しく思うのは私だけか。ウルトラマラソンは3回目のエントリーでようやく出場できた。マラソン仲間の川端さんの供養のため、喪章をつけて走った。
  大会委員長あてに出場嘆願書をそえて申しこんだことが発端で高知テレビから取材を受けた。「遥かなる100キロ〜四万十ウルトラマラソン」(平成12年11月4日放送)の1時間番組に出していただいた。テレビに出ることなんて特別な人でないかぎり、そうあるものでない。私にとって人生で初めての経験であり、撮影スタッフとの約13時間にわたる交流は忘れられない思い出となった。だから森にいだかれた四万十川に対する想い入れは人一倍強い。
  今までトライアスロン、マラソンに数知れず出場したけれど、自分の競技中の映像はこれ以外全くない。落ち込んだ時、これから何かをやろうとする時、まよった時このビデオがはかり知れない勇気を与えてくれる。中村市に滞在したのは3日だったが、その中村市の名前がなくなったことは色んな意味で残念だった。
  56号線と20号線の分岐のところにある酒販売店でトイレをかり足摺までの道を聞く。20号線で四万十川を渡り321号線へ。四万十川はこの渇水時にもかかわらずなみなみと水をたたえ悠々と流れている。約1キロの橋は風が強く、自転車が横風に持っていかれないようにゆっくりと慎重に進んだ。それにしてもデカイ川だ。

◆トンネルで寿命が縮まる?
 
中豆田トンネルに入る。1キロはあると思われる。トンネルは曲がっているので出口がまったく見えない。普段車で通過する時は気にならないがトンネル内で車の走る音が絶え間なしに反響してすごい音である。しかも歩道は50センチくらいで、自転車で走るのは難しい。最初車道を走っていたが、ところどころ暗いところがあって、バランス感覚が悪くなってふらついて倒れそうになる。(これも、年か?)
  ついに、歩道の上を自転車を押して進むことにする。車道に落ちないように、精神を集中して進む。20分位かかっただろうか。とにかく時間が経つのが遅い。口からゆっくりと息を吐き出す立禅(腹式呼吸)で気持ちを落ち着けた。ふぅ〜〜。ふぅ〜〜。ふぅ〜〜。

◆にがい経験
 
かつてロードレーサーで京都から川西に抜ける時、トンネルの中に照明がなくサングラスを着けたまま突入して、まったく暗闇の中道路の端を走った。サングラスは度つきなので、はずせば何も見えない。端の方には小石が集まっており細いタイヤのロードレサーではスリップしやすい、転ばぬようハンドルをしっかり固定し、後から来る車のヘッドライトの灯りと勘を頼りに走ったことがある。
  それ以来の恐怖であった。3年寿命が縮まった。(3年と言う数字に何の根拠もないが・・・)四国のトンネルには必ず歩道がある。その歩道の幅はまちまちであるが、お遍路さんが歩くことを考えて作られているのだろう。ありがたいことである。できれば1メートル位の幅があればいいのだが・・・。それにひきかえ京都から川西へ抜けるトンネルにはまったく歩道がなかった

◆風の通り道
 
今回のお遍路ではトンネル、ズイドあわせて43回通過した。もう一度というと二の足を踏んでしまうトンネルも2、3あった。2ヶ所だけ、車のトンネルと歩道のトンネルを分けているところがあった。その歩道のトンネルの一つには「風の通り道」という心を和ませるような名前がつけられていた。車や人には、山を通過するための通り道だが、風にとってみればこよなくおもしろい通り道かもしれないなと想いながら、ただ一人ルンルンで風の気持ちになって、このぜいたくなトンネルをくぐった。なぜか坂村真民の「サラリ」の詩を想った。
    サラリと  流してゆかん  川の如く
    サラリと  忘れてゆかん  風の如く
    サラリと  生きてゆかん  雲の如く

このようなトンネルをぜひ増やして欲しいものだ。

◆またもや祭りで泊まるところがない!足摺へ
 
土佐清水市内に入る手前で車の大渋滞に巻き込まれる。足摺祭りで花火大会があるらしい。途中で地元の人に教えてもらったホテル、旅館とも満杯であった。昨年の徳島のことを思い出した。あの日も阿波踊りで泊まれなかったな。あるホテルで電話帳を借り宿泊先を探す。足摺テルメという国民宿舎で大広間なら宿泊できるとのこと。もう140キロ走っているが足摺に行くことを決心する。後15キロくらいだ。
  ホテルのオーナーにテルメまでの地図をもらい、夕暮れの道を急ぐ。スカイラインは急でやめた方が良いとのアドバイス通り中浜、大浜の海岸線を走る。27号線に出るところが工事中であったが、自転車は通り抜けできた。

◆大広間で寝るのは修学旅行以来
 
27号線を海沿いの道を走る。アップダウンを繰り返し足摺テルメに7時半ごろつく。食事が8時までなので風呂にも入らず食堂に行く。四国はどうしてこんなに食事時間が早く終わるのだろう。食後、露天風呂のある風呂に行く。中にはプールもあったので泳ぐ。実はゴーグル、スイムパンツをちゃっかり持って来ていたのだ。(しかし、役にたったのはこのときだけ。)去年は荷物を減らすために、自宅へ送り返したなあと思いつつ泳ぐ。ビールを飲んでいたので早めに切り上げる。
  大広間ではすでに2組が布団を敷いて寝そべっていた。最終的には7組になった。歯ぎしりをする人がいる。空調の音も耳障りだ。なかなか眠れずウトウト朝まですごす。今日走った距離は156キロ。宮古島トライアスロンで155キロ走って以来の距離を走った

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