平成18年8月13日
◇ゆっくりとした時間のながれ
5時30分起床。準備する。今日も団体が優先で朝食がすぐに食べられず、7時少し前に朝食。7時20分ホテル出発。すぐ近くの55番札所南光坊へ。納経所に手作りの小物入れが箱に入っている。「どうぞ、お持ち帰り下さい」と貼り紙がつけてある。こんなお接待もあるのだなと思い、茶色の水玉模様のものをいただく。今治の大通りを走って56番札所泰山寺へ。珍しく山門のないお寺で建物も新しかった。納経所では納経をして頂く方の横の机の上に白い犬が寝そべっている。心が和む。犬とか猫は人の心を開いてしまうところがあるようだ。またお寺の犬や猫はムダ吠えせずおとなしい。私の菩提寺である仏国寺でも同様で、彼らにストレスがないからかもしれない。お寺では時間が本当にゆっくりと流れているのを感ずる。
地図を見ながら先に進むが、今治市内のお寺は本当にわかりにくい。57番札所栄福寺では「長寿手拭い」を買う。私も今年で59才。こういう物に手が出るようになった。母の生きた74才までは生きようと思う。58番札所仙遊寺へは約3.8キロ。2キロ近く坂道をのぼる。仙遊寺の大きな山門が見えた。その上にあるお寺まで歩くことにする。ちょうどお寺から下ってきた若いお遍路さんにどれくらいの道のりだと聞くと、200メートルぐらいだという返事が返ってきたが実質はもっとあったのではないか。だいたいこの手の質問に対して、短かったためしがない。曲がりくねって上にのびる階段を登った。この階段にかぎらずお寺の階段は少し歩幅が微妙に合わず、違和感をもつことが多い。途中小さな祠の中に大師御加持水の水ためがありタオルを水にぬらし涼をとる。それにしても仙遊寺本堂の裏手にある展望台からの眺めは素晴しく、眼下に広がる平野の緑がまぶしい。下からの風が絶えず流れていて本当に涼しい。仙遊寺には宿坊もあり、温泉があると聞いたが、そうであれば今度は是非泊まってみたい。
◇国分寺
山を下り、頓田川を渡って59番札所国分寺へ。国(國)分寺と名のつくお寺は四国では阿波(徳島)の第15番、土佐(高知)の第29番そして伊予(愛媛)の第59番、讃岐(香川)の第80番。あわせて4寺である。天平13年(741年)聖武天皇が護国安泰の国分寺、国分尼寺を建立する詔勅を出されたのは中高生の歴史の教科書にも出ている。いずれも行基が勅命を受けて造ったという。奈良の東大寺は総国分寺である。人が集まりやすいように平地に建てられている。
この国分寺の前でタオルを販売している五九楽館の若い店主徳永忠介さんが、自転車を止めて国分寺に向かおうとすると、「お接待です。」と言って小さな白いタオルを手渡してくれた。国分寺にお参りした後、バンダナのような汗取りを買おうとお店に立ち寄った。お遍路さんの足取りを残すノートに記帳した後、白い手ぬぐいに私の座右の銘である「みる前にとべ」を刺繍してくれた。この店で買った紫色の麻のたて長のスカーフは今回の遍路でたいそう役に立った。頭に巻いて結んでもかなり余るので、首にも巻きつけることができ首の前で結ぶことができた。汗取りと首の日焼け止め、水にぬらして首の冷却と1枚で何役もこなしてくれた。西宮から持ってきたゴルフ用のネッククーラーはほとんど役に立たず、このスカーフを今回のお遍路中ずっと使った。
歩きお遍路さんが2人入ってきて、徳永さんと話し出した。その会話を聞いていると、70才はこえているだろう方のお遍路さんが「横峯寺は焼山寺や太龍寺に比べると、それほどきつくない。」というものであった。「それなら、だいじょうぶだな。」と内心思ってしまった。この言葉を真に受けてしまって、後で大変な目にあってしまったのだが、「先入観を持って望んではいけない」という貴重な教訓を学んだ。
◇迷走
61番札所香園寺はお寺と言うよりも講堂という感じで、お寺の体をなしていない。たくさんの人が座れるように椅子がたくさん設置してある。何に使うのかよく知らないが、もはやこれはお寺という範疇に入らないように感じた。お祭りしている大きな大日如来は金ピカで非常にきらびやかであるが、なんともいえない違和感を覚えた。居心地悪く、そそくさとお寺を後にした。
寺を出て11号線にはいるが、どういうわけか左の方向へ行ってしまった。61番札所から62番札所宝寿寺までは2キロとなっているがなかなか案内標識が出てこない。もう一度地図で確認すると反対に来ていると、やっと気付いた。逆に戻るが、この時間のロスがあとあとこたえた。時間は2時30分。先に60番札所横峰寺に行き62番、63番へ戻るか思案のしどころであった。結局62番札所宝寿寺、63番札所吉祥寺を急いでまわり横峰寺へまわることを選択することにした。急いでいたのか珍しく吉祥寺の山門をカメラにおさめるのを忘れてしまった。
◇甘かった考え
3時頃、11号線から142号線に入る。最初から坂道である。距離にして横峰寺まで12キロ。延々と黒瀬峠を登りやっと登山口に出る。上野原の大駐車場で水補給をする。ここからマイクロバスが出ているようだが自転車で登ることに決する。途中自動車の通行料を取る料金所があり管理人のおばさんと話す。「あと1時間で6キロはしんどいのでは」と言われるが、後6キロ何とかなるだろう。「だいじょうぶです」と言って山道を登る。道が狭くしかも道が悪いのでジグザグ走行もままならない。かなりの急勾配である。今までで、一番きついのではないか。今日国分寺のお遍路さんの言っていたのとずいぶんと違う。甘くみていた。5時までの納経に間に合うか微妙になってきた。オドメーターは自転車に乗っていても4〜5キロしかでていない。歩いて自転車を押す。少し緩やかになったところでは自転車に乗るといったことを繰り返す。
自転車を置くことを考えたが、お遍路を始めたときからどうしても上がれないところは自転車を置いて歩いたが、それ以外は自転車と共に巡拝してきた。私の場合は『同行二人』であると同時に『同行二輪である。』懸命にひたすら登る。あと駐車場まで1.5キロのところまで来る。先の管理人のおばさんから駐車場の1キロ手前にお寺へ登る道があると教えられていたのだが、登ることに気をとられどうも見過ごしたらしい。あとで分かったことだが、この道を登れば10分はかからない。駐車場への道を最後は立ちこぎでこぎ続ける。駐車場の手前にお寺に下る道がある。着くやいなや、その入り口に自転車を止め。鍵もかけず、ズタ袋を持ってヘルメット、手袋をつけたまま500メートル駆け下りる。わき目も振らず、ひたすら走る。
◇門限に間に合わない
もう私の時計は5時を少しまわっている。納経所に着いたのは5時10分。走り出した直後、年配の親子に「横峰寺の住職は時間にきびしいからな。」と聞かされていた。納経所に着くやいなや、もう閉じてある納経所の横のベルを祈るように押した。ダメでもともとと言う気持ちであった。幸い門前払いはくわずにすんだ。私より少し上と思われる女性が出てきて、私のいでたちを見て、全てを察してくれたのか「まだ、筆を洗っていないから。」といって、納経してもらえることになった。そして「もう、いいお年なのですから無理をなさらないようにして下さいね。」と一言。年はとっても、お寺で聞く法話は小さい頃から素直に受け入れるように育ってきた。弘法大師さんからのお声としてありがたく受け取り、「ありがとうございます。」と返答した。
しかし一方、頭の別のところでは、あきらめず必死になってやろうとする私がとても好きだと肯定している。2回目のお遍路の後、森晴美さんからサムエル・ウルマンの詩を教えてもらった。その詩「青春」の一節が浮んだ。私は58才の青春を自負する。
青春とは臆病さを退ける勇気
安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。
時には、二十歳の青年よりも六十歳の人に青春がある。
年を重ねただけで人は老いない。
理想を失うとき初めて老いる。
人気のない境内の、本堂と大師師堂をゆっくりとおまいりした。実は私の時計は5分進んでいる。何年かかけて5分進んだのだと思うが、少し時間にルーズなところがある私にはこのことはとてもよいと思っている。今回もそれが幸いした。先程5時10分に着いたと書いたが実際の時刻は5時5分頃だったと思われる。のどの渇きをおぼえ、自販機を探し当ててコインを入れるがコインがもどってくる。電気が切ってある。のどを渇かしたまま山を下る。道が悪いので慎重に下りる。ブレーキを握る指がしびれてくる。途中上野原の大駐車場で水の補給をする。また遍路地図に載っていた今日の宿の玉乃家さんに予約の電話を入れる。こういうときの携帯電話は本当にありがたい。
◇玉乃家さんのご主人は居合道の師範
行きに登って来た横峰寺の登山口を黒瀬峠とは逆の広いほうの道12号線を下る。途中緑深い木々の中、濃緑の水をたたえた黒瀬湖が美しい。山と山との間を松山自動車道がかかっている。かなりの高架になっている。以前何回か松山自動車道を走ったことがあるが、ここを走っていたのだと思うと少し恐怖心がわいてきた。今までこういう景色を見ていなかったので気にもとめていなかったが、地震でもあればと思うと少し寒気がする。阪神淡路大震災は深く私の心にその痕跡をいまだに、とどめている。知らない方がいいこともあるのだなあと考えつつ、加茂川に沿って下る。12号線、19号線を乗り継ぎ、11号線に出て、JR伊予西条駅をめざす。加茂川を渡る。かなり川幅の広い川なのだが、水の流れはほとんどなく河原になっている。多くの人たちがバーベキューをやっている。今年も四国は水不足なのだろう。
玉乃家には7時頃に着く。赤いポロシャツを着た60歳くらいのご主人がフロントで待っていてくれた。自転車を駐車場に置き、チェックインした後すぐにシャワーを浴び、ホテル最上階にあるランドリーで洗濯をした。ここはランドリーが珍しく無料であった。となりの居酒屋で食事。
1時間程してホテルに戻るとフロントに出迎えてくれたご主人がいる。駐車場からフロントに行くまでに「居合道」の案内があったのでそれについて聞いてみた。田宮流旧西条藩武芸(西条市無形文化財指定)の師範をしておられ、武芸についての話を楽しく聞かせてもらった。この田宮流は「どんな手段を使ってもよいから生き残る。」ことを最優先する流派らしい。「宮本武蔵も晩年を除いて同じ考えで行動していたから生きのびた。」とのこと。正々堂々と言うのが大方の武士道に対する見方であるが正々堂々とやっていては勝って生き残れない。「卑怯」と言う語はここでは存在しないのだ。また木刀とそれをおさめる手作りの紙製のさやを使って刀の納め方をみせてくれた。さやの納め方で流派が分かるらしい。少し疲れたので話の切りのいいところで辞することにした。そのまま9時頃就寝。
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