子どもを読書好きにする苦楽園読書くらぶ

東日本大震災支援

被災地に本を送ろうプロジェクト

今回の東日本大震災で被災された方に心からのお見舞いを申し上げます。
ニュースを見るたび、聞くたびに夢であって欲しいと願わずにいられませんでした。
私は、西宮で阪神・淡路大震災を経験した者として、今回の東日本大震災の被災者の方々の気持ちが痛いほど分かります。そこで、私にできることはないかと、ずっと考えていました。そんな中、偶然「被災地に本を送ろう~紙の文化の復権を」と題した「トムジィの日常雑記」というブログにいきあたりました。

その中で紹介された「震災と暮らし 一冊の本とボールの力を」と題した朝日新聞社の社説に啓発されました。家を失い、家族を失い、仕事を失い絶望の中で、人びとの心を支えているものはやはり人でしかない。しかし、社説では次のように述べている

心を柔らかくしたり、静めたり、浮き立たせたりするもの。想像の世界へ誘ったり、考えを深めたりするもの・・・文化とスポーツだ。被災を伝えるたくさんの写真の中で印象に残った2枚がある。1枚は、避難所のストーブを明りにして本を読む子の落ち着いた表情。もう一枚には、サッカーをする少年達の笑顔が並んでいた。一冊の本。一つのボール。それは子供たちが生きるための必須栄養素だ。もちろん、おとなにも。厳しい日々には、なおさら大切だ。

社説のこのくだりを読んで、関西の作家である藤本義一さんの新聞のコラムの記事のことを思い出しました。それは『「辛い」と言う字に横棒を一本ひくと「幸せ」と言う字になる。人生に希望をとりもどすには、「一」を引く勇気が必要だ。』というような内容だったと記憶している。一冊の本がこの「一」になるのではないか?本を読む間のほんのひと時だけでも、被災した子供や大人に「幸せ」を与えてくれるのではないかと。今まで本は、私たちが悲しいとき、自分の思い通りにならいときや悩んでいるとき、私たちを慰めてくれたり、生きる希望や勇気を与えてくれたのではないか? 病院で私の闘病生活を支えてくれたのも、やはり本でした。

4月5日付けの時事ドットコムでも、「読書で心に安らぎを=避難所にミニ図書館―福島」と題して次のような記事が載せられています。

福島第1原発の事故で被災者が避難する福島県郡山市の複合施設
「ビッグパレットふくしま」に図書館コーナーが設置されることになり、県立図書館の職員が5日、絵本やベストセラー小説など1000冊を運び込んだ。オープンを前に、子どもたちは一足早く棚に駆け寄り、本を品定めした。(中略)被災者の50代男性は「マンガ雑誌だけだったので、本はありがたい。心に余裕が生まれる」と歓迎。運営はボランティアが担い、子どもを対象にした読み聞かせ会も開くという。

これを見ても、本の果たす役割は大きい。
文明である建物や建造物は津波に飲み込まれても、文化は受け継がれます。そうやって日本人は多くの困難を克服してきました。物の復興は心の復興があってこそできます。
篠山は「人・自然・文化が織りなす食と農の都」。今こそ、その真価を発揮するときです。
被災地に文化の象徴である本を、一冊でも多くの本を送りましょう!

お知らせ

被災地へ送る本の受け入れは5月31日をもって一旦区切りをつけました。この間多くのの問い合わせ、本の持ち込みありがとうございました。また、本を被災地に送るための運賃を捻出するための協力金として多くの方々にカンバッチを購入していただきました。ありがとうございました。本は本を必要とする被災地に責任を持って届けさせていただきます。尚本の送付先は決定次第このホームページに記載させていただきます。



被災地女川町にいってきました

バングラデシュの教育支援活動をしておられる岩下さんに同行して宮城県石巻市の女川町(おながわちょう)に行ってきました。

岩下さんのほか三田で有機農業をやっている小宮さんと、3人の同乗でした。岩下さんは支援物資の運搬と出島(いずしま)のアルミ廃材を篠山に持ち帰ること。小宮さんは女川でのボランティア活動の後、20日に福島に移動して、丹波まで福島のこども達を引率すること。私は避難所や仮設住宅の本のいきわたり状況や速音聴による読書の支援の事前調査をすること。3人それぞれの目的がありました。

8月12日の午後10時30分丹南篠山ICを出発。舞鶴自動車道、北陸道、磐越道、東北道、最後に三陸自動車道と乗り継いで女川町に到着したのは、13日の午後の3時をまわっていました。目的地までは約1000キロですが、丁度お盆の帰省ラッシュと重なって、約1時間の仮眠時間を含めて約17時間かかったことになります。

車は4トントラックなので、4トントラックのドライバーの経験のある岩下さん一人に頼り切ることになりました。長時間の運転、お疲れ様でした。私の方はというと、せめて寝ないで起きておこうと、がんばって起きていました。となりでスヤスヤと寝られて孤独なドライバーになったことは、運転している者ならだれでも経験していることです。

東北の道路を走るのは初めてでしたが、よく整備されていて、東北の物作りを流通の面で貢献していることが良く分かりました。高速道路からながめる風景からは、あの悪夢のような出来事を想像できませんでした。それほど、ごくごく普通なのです。三陸自動車道からは南側の海岸線は全く見られないからです。

石巻と女川町を結ぶ石巻線の線路に沿って走ると、ところどころに液状化現象と思われる水たまりができていました。震災の影響はそれ位で、テレビでみるような風景は見られません。しかし、少し山間部に入ると仮設住宅が見られるようになり、ここは被災地であることを物語っていました。岩下さんが代表をつとめる女川町の個人ボランティアのためのテント村に着くまでの風景は仮設住宅以外、ごく普通の風景でした。しかし、一山越えた海岸部では津波が全ての生活を奪っているのです。

次の日に行った尾浦の漁港は、まさに廃墟でした。ガレキが撤去され、大きな建物の残骸だけが点在しています。民家は全く見らません。道路はガレキが撤去され車が通る道幅は確保されていました。ところどころ、海水で浸水しています。ここで多くの人々が亡くなったという実感があまり持てませんでした。すでにガレキが撤去され家の土台以外は何もなくなっていたことと、あまりにも明るい、カンカン照りの天気のせいかもかも知れないと思いました。テレビで見たガレキだらけの震災直後とは明らかに印象は違っています。

とにかく生活の匂いがしない。ガレキの中にこそ生活の匂いがあるのでしょう。そのガレキの撤去に尽力された自衛隊隊員の方々、ボランティアの方々はどのような思いでその匂いのするガレキの撤去に臨まれたのであろうか。現場にいなかった私には、想像するに余りありました。当日はちょうどお盆の時期で、亡くなった家族に花を手向けている人達を見て初めて、多くの人々が亡くなったのだという現実を受け入れることができました。

また、女川町は人口1万人の町ですが、町舎、病院、体育館を含む競技場など立派な建物が目につきました。原発マネーでできたということを後で知りました。女川原発は牡鹿半島の根っこに近いところにあり、尾浦からすぐのところです。

岩下さんの好意で、女川第1小学校にある避難所に行くことができました。避難所のスタッフである生涯学習課の遠藤さんに「本を送ろうプロジェクト」の話をし、本の置いてある3階のホールに案内してもらいました。本は本棚にかなりおいてありました。同じ階に小学校の図書館があり、蔵書もかなりありました。遠藤さんの話では、仮設住宅での需要はまだまだこれからとのことでした。お盆しかも初盆でもあるので、女川町の人々のこころはそこに注がれている様でした。

15日は4時に起床し、出島に支援物資を届けました。空になったトラックに出島のアルミ廃材をのせます。出島には漁師さんの漁船でアルミ廃材をのせて往復します。廃材は出島の人たちにとっては、慣れ親しんだ窓や入口のサッシです。漁師さん達には、心にひっかかるものがあったかも知れませんが、廃材の代金が島の復興の支援金になるのです。

だいじょうぶ屋のボランティアと出島の島民の方合わせて約20名で船からの積み替え、車への積み込み作業を行いました。トラックの荷台はパンパンです。岩下さんと辰井さん二人は運送業経験者らしく、積荷がしっかりとなされ、すこし安心しました。高速で廃材を落とすのではないかと、私はいらぬ心配をしていたからです。5時前に漁港に着いた時には、船着き場は満潮の時間で冠水していましたが、作業の終わったころには岸壁から60センチほど下に水位は下がっていました。岸壁がかなり沈降していることが分かります。

その後、テント村に帰って帰り支度をして、午前10時50分に岩下さんと二人で篠山に向かいました。早く出たせいで、あまり大きな渋滞にも巻き込まれず、途中仮眠を取りながら丹南篠山ICに朝の4時30分ごろに到着しました。やはり17時間近くかかっていました。

一人で東北に行こうと思っていたところ、岩下さんから今回の被災地行のことを聞き、便乗させてもらうことにしました。避難所、仮設住宅を細かくみることはできませんでしたが、現地の様子をおぼろげながら知ることができてよかったです。本の支援活動はまだまだこれからだと思います。どういう風に係われるか、これからも考えていきたいと思っています。その前に、被災地に本を届けてほしいと私に託された人達の気持ちを被災地の方々に届ける役目を果たすことですが、残念ながらまだすこし時間がかかりそうです。

また、テント村に留まり2か月、3か月と長期にわたって支援活動をしておられる辰井さん夫婦。大分県から軽トラで支援にきておられる「碧い海の会」のメンバー三浦さん・足立さん。(三浦さんは69才だそうです。)堺市、香川、東京、姫路からやってきているボランティアの人達に会って、心が熱くなりました。私は私なりのやり方で支援をしていきたいと、新たなる決意をしました。あわただしい4日間でしたが、とにかく被災地を自分の目で見られたことが何よりもよかったです。

現在各自治体によっては、ボランティアの受け入れは、団体は受け入れるが個人は受け入れないという摩訶不思議な対応をするようになっています。団体であれば、日にちが決められているので、仕事がある人には都合がつけにくい。個人での参加であれば、都合がつけやすいです。その点、「だいじょうぶ屋」のテント村は個人参加が原則で、参加しやすいです。「だいじょうぶ屋」は支援団体としても登録されていて、支援の実績があるので、被災地までの高速料金が免除されるとも聞いています。私も含めて、団体では参加できないが、個人で参加したい時には岩下さんに相談するといいでしょう。私も体調が許せば、また参加したいと思っています。

参考までに、テント村だいじょうぶ屋のホームページを書いておきます。

ホームページ http://daijobuya.p1.bindsite.jp/



「被災地に本を送ろうプロジェクト」のご報告     

                       
東日本大震災が起こった3月11日から約1か月たった4月14日に「被災地に本を送ろうプロジェクト」を立ち上げ、多くの方々からご支援をいただきました。遅くなりましたが、皆様から寄贈していただいた本を被災地の仮設住宅の集会所に届けることが決まりました。

そのご報告をさせていただきます。

【送り先】〒986-2261宮城県牡鹿郡女川町女川浜字大原190
                   女川町総合体育館内生涯学習課
     生涯学習課を通じて仮設住宅の集会所に届けられます。

【寄贈内容】 本・書棚・被災地の方々に向けて書いていただいた、本寄贈者のメッセージ

寄贈本内訳
協力金収支報告
※1カンバッチ300個作成
※2残額は市社会福祉協議会に全額寄付させていただきます。

最後になりましたが、今回のプロジェクトで多くの方にお世話になりました。カンバッチのデザインをしてくれた藤井さん。カンバッチの件で大変お世話になったNPOみらいの谷敷さん。プロジェクトの件でアドバイスいただいた市会議員の足立さん。本の寄贈先を探すのにご尽力いただいた市保険福祉部部長の前田さん。女川町に同行させていただいたテント村だいじょうぶ屋の岩下さん。

これらの方々には特別なるお力添えをいただきましたこと感謝しております。有難うございました。 平成23年10月25日      

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