子どもを読書好きにする苦楽園読書くらぶ

歩きお遍路

歩きお遍路(2007年8月13日~8月16日)

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四国徳島へ出発(8月13日)

 
5時15分自宅を出発。阪急夙川まで歩くことにする。途中納経帳を忘れていたことを思い出し、取りに帰るか迷っていたところ、運良く苦楽園口の方からタクシーが来た。タクシーに乗り自宅に戻り納経帳を手に再びタクシーで夙川へ。

準備はねんいりにしていても、必ず忘れ物はあるものだ。夙川からは特急で三宮には5時53分着。バスの発着場所が分からず思案していると、丁度バスターミナルの係員の人を見つけ、神姫のバスターミナルを教えてもらった。

こんな所にと思える程、その場所は少し分かりにくいところにあった。バスは前日にインターネットで申し込み、ロ-ソンで発券してもらったもので、一席だけ残っているのを運良く手に入れることができた。

予定をたてて行動するのが苦手な私らしくいつもドタンバで何とかなっているのが不思議だ。しかしバスの指定券を買うにも便利な時代になってきたものだ。

バスはハーバーライナーという名前で6時30分きっかりに出発。三宮の東にある六甲トンネルを経由して徳島へ向かうが、南に向かうのに北へ行くということなのだが、どうも方向感覚がつかめない。いずれにせよ鳴門大橋を渡り、淡路島を横断して徳島へ向かう。

バスに乗ってから私は迷っていた。徳島で降りるか、高速鳴門で降りるべきか。地図で見ると高速鳴門からJR鳴門まで非常に近い。ただ高速鳴門から交通機関があるのか心配であった。

頼りにして聞いたバスの運転手からは何の情報も得られず、とにかく何とかなるだろうと決断して、高速鳴門で降りることにした。

私は「歩きお遍路」に来たのでは?

一緒に降りた家族の父親が近辺に詳しく、JR鳴門駅まで歩いて15分と教えてもらった。一安心と同時に、JR鳴門までの交通機関ばかりを考えていて「歩く」という交通手段を思い浮かべなかった自分が恥ずかしくなった。

私は四国に、「歩きお遍路」に来たのではないか。この自己矛盾は私が日常生活の中で知らず知らずの間に、便利さにどっぷりと漬かっていたことを物語っている。

JR鳴門までの道のりを教えてもらって歩く。12.~13分で鳴門駅へ到着。8時14分発の電車に滑り込みセーフで間に合う。鳴門、撫養(ぶよう)、金比羅前、教会前、立道(たちみち)を経て阿波大谷で8時43分下車。

立道と阿波大谷の間はレンコンの畑がえんえんと続いていた。最初、ハスの花と思っていたが、下車したとき車掌さんにレンコンの花だと教えてもらった。

なつかしい種蒔大師さんへ

駅から地元の人に聞きながら、種蒔大師(たねまきたいし)で知られる東林院へ8時52分着。10数人のお遍路さんがご住職の話を聞いている。私がお参りの準備をしていると一行は境内から出て行った。

相手のいなくなったご住職が今度は私に声をかけてきた、「お元気ですね」とたいそうほめてくれる。初対面の人からほめられると悪い気はしない。素直に「ありがとうございます」とお礼を言う。

3年前に自転車で訪れたいきさつを話すと「副住職のことですね」とうれしそうに話された。その後戻って来られた副住職とも会え、よく覚えていてくれた様でとてもうれしかった。

塾で「論語」を素読していると言うと、いや「教育勅語」を復活すべきだというご住職と教育談議に花が咲いた。教育に危機感をもっている人は世の中には多い。

自転車お遍路の人と会う。3年前、私もここを皮切りに自転車でお遍路を始めたいきさつがあるので、親近感をいだいた、年の頃は40歳ぐらいの男性で行く先々で、会うことになる。

9時31分に東林院を9時31分に出発。よく見ると東林院の入り口は宇志比神社と同じである。隣には阿波神社があり、神仏混淆の神社や寺が四国には多いようだ。

お遍路の準備をする

12号線を一路霊山寺へ。10時24分に到着。霊山寺のお遍路用品の売場は相変わらずにぎわっていた。

霊山寺の手前にあった「花へんろ」という店には一人もがいなかったのを見ていたので、私の中の少数派が動いた。もとにもどって、「花へんろ」でお遍路用品を買うことにした。

「花へんろ」で、白衣、すげ笠、お袈裟、金剛杖、脚絆(きゃはん)を購入。納経帳、ずた袋は自転車でお遍路した時のものを使用した。

それと、朱印をいただく白衣(おいずる)だが、前回は真言宗のものであったが、曹洞宗用の白衣があることを知り自分用のものとして白衣を新たにもう一枚購入した。

教本は毎日使っている曹洞宗のものを使用した。数珠は母親の形見のものといつもの使い慣れている数珠の二本を用意した。

自転車お遍路の時は本来のお遍路と考えていなかったので、バイクジャージ姿でずっと通した。お遍路の巡拝姿に着替えると、本来のお遍路さんになったと気持ちが高揚し、これからの巡拝に対する期待と不安が入り混じって、不思議な気持ちになった。

親切にお遍路への旅支度を手伝ってもらった店員の方にお礼を言って霊山寺へ。

第1番札所霊山寺から安楽寺へ

霊山寺は前回と同様、人であふれていた。本堂と大師堂で先祖供養と私とご縁のあった方の供養を心こめて行う。今回は、戒名はメモ書きでなく、前日に過去帳にかいて持ってきた。

東林院であった自転車お遍路とまた出会う。熱心に写真を撮っている。京都や奈良のお寺では、写真を撮ることが制限されるが、四国ではあまり制限がないようである。となりのうどん屋で食事をとる。

となりの店でおみやげの地図を購入。少し出発が遅くなったなあと思いつつ、12時48分出発。

第2番札所極楽寺をまいり、第3番札所金泉寺にいくまでに旧遍路道があり、田んぼのあぜ道を歩く。しおからとんぼ、バッタの大群が歩を進めるたびに、うわ~っと動き始める。

こんな大群に出会ったのは、子どもの時以来だろう。思わず子供時代にタイムスリップしてしまった。しかも、みんな超元気。都会の近くにいる虫たちとちょっとちがうぞ。

金泉寺を1時30分に出発。途中大クスノキに出会い、写真をとる。第4番札所大日寺までは最後2キロをずっとのぼるが、とても急勾配にみえる。

自転車できたときはそうは思わなかったのだが、なぜか考えてみると目線がちがうのだ。自転車にのると目線が上がる。その分、勾配がゆるく感じるのだ。

3年前には、1人の青年を追ってマスコミがテレビ取材をしていた。境内はひっそりとしている。私はどちらかというと静かなほうが性に合っていて、心が落ち着く。2時40分着。

3時5分に出発し、第5番札所地蔵寺へ向かうが、五百羅漢の方へ行ってしまった。五百羅漢の門前の老夫婦がもっと下だと教えてくれた。

地蔵寺を3時39分出発。坂道を下る。4時47分第6番札所安楽寺着。納経後、明日のことを考えて第7番札所十楽寺で納経のみしてもらうことに決める。というのは、お寺で納経をしてもらえるのが7時からなので、朝早く出ても、十楽寺で足止めをくってしまう。

またもや無理をしてしまった

宿坊に荷物をあずけて、ズタ袋だけをもって走る。門限まであと10分。自分の方向が十楽寺へ向かっているのか、途中会う人に確認しながら、走る。走る。

またもや無理をしてしまった。(「無理をなさらずに」と、横峯寺の女性のにこやかな顔が目に浮かぶ。)

十楽寺には5時1分前に到着。息を切らせて、納経所に飛び込むと係の女性2人がにこやかに対応してくれた。無事納経を終え、安楽寺に戻ろうとすると、何やらにぎやかだ。

若い人が大勢境内にいる、しかも、外国人もまじっている。十楽寺にTELを入れて宿泊をたのんでことわられたのはこの団体だということが分かる。国際交流の一環だろうか。

また来た道を戻るが、道に迷ってしまう。よく考えると、安楽寺までよく、迷わずに行けたものだと思う。時間に追われると不思議なパワーが生まれるのか。

安楽寺に戻って宿泊手続きを済ます。まず入浴し、洗濯する。コインランドリーがあるので助かる。6時に食事。食事の前に、寺のご住職の挨拶があり、7時から15分位おつとめがあるので、出て下さいとのことであった。

15分ぐらいならと軽く受けて出席したが、実際は1時間近くかかった。しかし、大師堂、本堂をはだしで入れてとても良かった。お寺の宿坊で泊まることで、いただくご褒美のようなものだ。

お遍路2日目の始まり(8月14日)

安楽寺5時57分出発。時計の目覚ましが鳴らず、寝過ごしてしまう。昨晩、車の音が耳について、あまり眠れなかった。これは、西宮と変わらない。

しかし、ニワトリが鳴いている。これは、西宮では味わえない。十楽寺ではだれもいない境内で、ゆったりと御経を上げる。十楽寺6時34分発。

途中自転車お遍路に会う、善通寺から始めたらしい。ロードレーサーに乗っていた。昨年はこの逆の立場であった。歩きお遍路さんを、私は尊敬の眼差しでみていた。はたして、この自転車お遍路には私はどう映っているのだろう。

第8番札所熊谷寺7時19分着。ミンミンゼミが鳴いている。静かな境内でとても気持ちがよい。十楽寺から熊谷寺までの道、朝陽が私の影を細長く作っている。

左手には四国山脈が連なってみえる。ありふれているが、一句浮かんだ。

あさもやの四国を歩かん かげとともに

金剛杖を持って歩くのにも少し慣れた。試行錯誤の結果、5歩歩いて一突きがリズムよく歩けることが分かった。

何故橋の上では杖をついてはいけないのか理由はわからないが、橋を渡るときは杖をつかなかった。

第9番札所法輪寺をまわり第10番札所切幡寺へ。山門に9時33分着。333段の階段に続く、234段を一気にのぼる。333段を登りきったところにベンチがあり、2人の青年が休んでいる。

それを見て、ちゅうちょなく次をめざした。まだまだ私の気力は失われていない。いけるぞ。納経所で珍しく待たされる。

第11番札所藤井寺へ

切幡寺10時出発。藤井寺へ向かう。お金が少なくなってきたので、旧遍路道を通らず国道を歩く。銀行が国道沿いにあるからだ。途中「一休さん」で一休み、食事をする。

うどんと雑炊のセットを注文、変なとりあわせであったがおいしかった。店員の人に水を頂きたいというとボトルに氷をいっぱい入れてくれた。ありがたい。感謝です。11時36分出発。

11時48分、阿波銀行でお金をおろす。国道を右折して国道を歩く。吉野川の阿波中央橋をわたる。

わたしは、高いとこが苦手な高所恐怖症である。しかも、アメリカで橋が崩落したというニュースも知っている。橋に隙間があいていて、下には川が見える。

川面をわたる風がとても気持ちがいいのだが、橋は川から30~40mの上に架かっているので、まじ怖かった。

1時15分に藤井寺に到着。東林院を出発以来、お遍路の行き先々のお寺ですっかりなじみになった人達がいる。藤井寺の近くで泊まるとのこと。

第12番札所焼山寺はお盆の間は泊まれないらしい。私も焼山寺に行くことをあきらめて1時40分発。10分ほどで旅館吉野に着く。この吉野は旅館とは名ばかりで、普通の人家であった。

お遍路宿はこの様な人家が多い。若い店主が出迎えてくれた。風呂に入らせて欲しいと言うと、すぐに用意をしてくれた。

空間的に日常生活から離れることの意義

夕食までの間、時間をもてあましていたので、外へ出る。顔なじみになった若いお遍路さんに会う。同じ宿に泊まるらしい。「はやいですね。」と言われたが、自分ではとりたてて早く歩こうとは思っていない。たぶん、休憩をあまり取らないからだろう。

これは、トライアスロンやマラソンをしているので、あまり休むとリズムが悪くなるので、できるだけ休まない習慣がついているからだろう。

近くの家庭菜園で収穫の野菜を取り入れているおばさんがおり、声をかける。気軽にはなしてくれる。しまいに、ゴーヤを持って行けという。自分はお遍路なので持っていけないが、泊まっているところに持っていくと言って、南国の太陽を目一杯浴びて大きく育った3本をいただく。

初対面でもこんな軽いノリで話せるのは他の土地にきている気安さからだろう。空間的に日常生活から離れることの意義がこういうところにあるのだろう。

6時食事。若い人が多い。昨年「ウォーカーズ・迷える大人達」というお遍路を題材にしたドラマがNHKで放映されてから、「自分探し」の旅に若い人達がたくさん四国に来るようになったらしい。

いずれにしても、年寄は私1人であった。食事の間、みんなテレビばかりみていて全く会話がない。これは昨日も同じだった。「日常生活の延長なんだ。」と思いつつ、こっちも話しかけようとしていない。

できれば、日常生活から離れて日頃やっていない会話を楽しんで欲しいものだ。今日は、あまり距離は歩いていないにもかかわらず、身体がほてっている。炎天下の中を長い時間歩いたからだろう。

歩きお遍路のむつかしさ(8月15日)

朝方まであまり眠れず、うつらうつらしているうちに4時になってしまった。自転車お遍路ではあまりなかったことだ。思い切って起きて、硬くなっている身体をほぐすため真向法をする。

左足かかとにマメができていたが、歩くのに支障はなかったのでそのまま放置した。クツは、ランニングシューズとウォーキングシューズの2足を持ってきていて、調子の良い方をはくつもりだった。2日間ランニングシューズをはいてきたが、どうも良くないと判断しウォーキングシューズで歩くことにする。

しかし、この判断が後で裏目に出てしまった。ランニングシューズはおみやげと不要なものを合わせて宅急便で自宅に送り返した。これは毎度のことだが、荷物は最小限のものをもってきている積りなのに、不要なものは、現地で実際に行動してみないと分からない。ザックが随分軽くなった。

朝食の時間が6時だったので、迷わずおにぎりを作ってもらうことした。多くの若い人達も、夕食の時にはおにぎりにして欲しいといっていなかったが、あとで、ほとんどの人達がおにぎりにしたと、店主が出かけ間際に話してくれた。早く出ないと、大日寺にはたどり着けないことが分かったのだろう。

自転車お遍路では予定はある程度大まかで良かったが、歩きお遍路では、かなり念入りに計画を立てないと、むずかしいことを、お遍路一日目で実感した。

自転車お遍路の時は5時前に出発することはあまりなかったし、朝食も朝食の時間に合わせていたが、歩きお遍路では早朝に出ないと目的地までたどり着けない。「朝はとにかく、早く行動することが大切だ。」ということは多くのお遍路さんからも聞いていた。

4時48分吉野を出る。早朝にもかかわらず、若い店主が見送ってくれた。それにしても、お遍路宿の主人は毎朝泊まった人の予定に合わせて起きないといけないので大変な仕事だと思う。

難所焼山寺へ

10分ほどで藤井寺へ。だれもいない薄暗い境内の本堂で、道中の事故のないように般若心経を読経する。だれもいないので大きな声であげることができ、気持ちがいい。人がいる時はやはり遠慮して小さな声であげざるを得ない。

5時7分に登りはじめる。周りが薄暗くてペンライトをつけて登る。しばらくすると周りが明るくなってきた。上にのぼるにつれてさらに明るくなる。

見晴らしのよい高台の眼下には、朝もやのなか吉野川と緑の平野がのぞめる。日本の昔からある原風景だ。

6時19分長戸庵到着。小さなほこらがあり、般若心経をとなえる。休みついでに、朝食のおにぎりをいただく。食べる前に、少しの米粒を周りにまく。これは、あるお遍路日誌で知ったことで、山河にすむ精霊に対する供養である。自分だけでなく、他者に対する心遣いが必要だという考え方に共感していたので、自然にできた。

あぶが身体につきまとう。蚊もやってくる。オニヤンマまでもが寄ってくる。これは、私のまわりによってくる蚊を捕獲するためらしい。それにしても立派なオニヤンマだ。

小さい頃だったら、この大物を捕まえて仲間に自慢していただろう。あぶはしつように私の身体にとまろうとする。先行きの不安があったのだろうか、おにぎり1個を残して、出発する。

知らず知らずにのうちに・・・

先に進むにつれ本格的な山道となった。クモの糸が、顔やうでにまとわりつく。「クモさん、君のえさにするには私はでかすぎるよ。」

まだ、だれも通っていないから先頭の私はこのクモの糸の洗礼を受ける。これは柳水庵のところまで続いた。道の真ん中に穴がいくつもあいている。セミの抜け殻である。

こんな人の通るところに、わざわざ巣をつくらなくてもいいのになあとその時思ったのだが、それが人間の独善的な考え方であることに気がついたのは、お遍路を終えてから、しばらくたってからだった。

クモの糸はクモにとって自分が生きていくための獲物を捕獲するための道具である。せっせと張ったクモの巣を、私は不快に感じながら壊していった。

またセミにとって、人間が通る道も自然の一部にすぎない。マンションのベランダにハトがフンをするといって憤慨する人がいるが、これもハトにすれば自然の一部にしかすぎない。 

道やマンションといった人間が作ったところには、他の生き物は存在してはいけないという考え方は、人間も自然の構成員の一部と考えるならば、明らかに人間のおごりの何者でもない。

頭では自然の大切さを認めていながら、都会の中で生活していると、知らず知らずの間に人間中心の考え方になってしまうあやうさをこのお遍路で教えてもらった。

柳水庵の下のところにお遍路小屋がある。一人休んでいる人がいて、一言二言話をする。藤井寺から来たというと、ずいぶん早いですねと言われた。自分では急いでいるつもりはないが、ほとんど休まずに歩いているからかもしれない。

特にのぼりは一気に登り切らないと気持ちがなえて休み休みになってしまう。マラソンでも登りはどういうわけか自信を持っている。数多く出場したレースで培った自負心は、こういう場面でも顔をのぞかせるのだろう。

ようやく焼山寺に

8時20分一本杉庵に着く。杉をバックにした大きな大師像が迎えてくれる。近くのほこらでお経をあげる。8時29分出発。ここから長いくだりが続き、また登りとなってようやく焼山寺の門前には9時44分に到着。

東林院で会った自転車お遍路の見覚えのあるマウンテンバイクがあった。彼は神戸の東灘区からきていた。昨日、門限を過ぎた5時30分に来て納経してもらえず、ふもとに下って泊まり、再度上がってきたとのこと。

私の場合、自転車お遍路ではもとにひきかえすことは一度もなかったが、山道を2回登るのはかなり勇気のいることだ。

焼山寺までボトル2本をもってきたが着いた時には一滴も残っていなかった。まず水分補給をして、納経所前のベンチで最後のおむすびを食べる。

結局この1個のむすびを食べたのが最後で、昼すぎまで何も食べられなかった。納経所で下りの地図をもらう。地図を頼りに下ることにする。

分かりにくい第13番札所大日寺へのお遍路道に苦戦する

ランニング姿の50歳位の男性が下ろうとして、声をかける。ランニングですかと聞くと軽くうなずいてそのまま下っていく。登山マラソンでもやっている人だろうか?あっという間に見えなくなる。

それ以来お遍路さんにはだれ一人として出会わなかった。遍路道にそって歩くがなかなか分かりにくい。遍路札が見にくいのだ。車のガードレールにはってある場合もある。

杖杉庵で一休憩。下から登ってきたロードレーサーに乗った若い人に声をかけられる。あとで地図をみてわかったのだが、自転車で来た時はこの杖杉庵を通過している。上りと下りとでは目線や光景がちがうのでよく分からなかったらしい。

一山越えて大日寺のほうへ抜けるようだが、また上りには少々まいってしまう。上りもしんどいが下りもしんどい。足に相当の負担がかかる。

12時27分頂上に到着。頂上まであと500mとあったが、この500mが長い。 頂上をこえるとあとは延々と下り坂でアスファルトの道であった。

カボスかミカンがなっている。その実は葉っぱと同じ緑色で秋には色づくのだろう。やっと国道2号線に出る。おなかがすいている。飲食店を探すがなかなか見つからない。

やっと、昔の駄菓子屋の様なところがあり、アンパンがありがたいことに1個残っていたのでそれを買う。少しは空腹を満たすことができた。

20号線が鮎喰川(あゆくいがわ)に沿うようにのびている。カンカン照りの中をひたすら歩く。暑い。熱い。行者橋の一つ手前の橋を渡り、21号線に出る。

小さなマーケットでアイスクリームを食べる。店員の人がイスを出してくれ、それに座る。店内はオアシスみたいに涼しい。極楽、極楽。

8キロ手前で大日寺近くの旅館かどやさんに電話を入れる。かどやさんは大日寺までの距離を案内板で知らせてくれていて、励みになった。マラソンのあと何キロと出ている案内と同じだ。

この8キロもなかなか大変であった。日陰がほとんどないのだ。
やっと、4時40分大日寺到着。納経を先にすませて、ゆっくりとおまいりをする。

納経所で、お世話係の人から「今日みたいな暑い日には、荒塩をなめなさい」と言われた。私は、清めの意味と塩分補給のために荒塩をもってきている。夏にはこれが欠かせない。汗でかなりの塩分を失っているからだ。

トライアスロンのエードステーションには必ず塩とか梅干が置いてある。この塩分が切れると、突如エンストの状態となって脱力感に陥る。よくスポーツをして、汗をかく人は気をつけるべきだ。

寺のすぐとなりにかどやさんはあった。阿波踊りの観光で昨日まで団体が泊まっていて一杯だったが、今日は私を含めて二組の宿泊らしい。

かかとにできた水ぶくれが大きくなっていたので、旅館で針をかりてその水を抜く。後でその針を返しに行くが、女将が持っていきなさいと言ってくれた。それが後で役に立った。

徳島市内のお寺をまわる(8月16日)

 
5時半起床。6時に朝食。6時43分にかどやを出発。2.3キロ先の第14番札所常楽寺へ。第15番札所国分寺と第16番札所観音寺はかたまっているのでわかりやすい。

国分寺は四国八十八箇所で唯一曹洞宗のお寺である。私の家の菩提寺は福井県小浜市にある仏国寺という曹洞宗のお寺であるが、座禅を中心とした修行を重んじた宗派なので、質素で、きらびやかなお寺とは程遠い。

しかし、お寺らしいお寺だと思う。私は好きである。7時22分到着。流水岩の境内は自然を大切にする心遣いに溢れている。
 
第17番札所井戸寺までの道程は少し分かりにくく、自転車で来た時も迷っている。途中、水を買うために、コンビニに入る。自販機で買った水やスポーツドリンクは最初だけ冷えたものを口にできるが、10分もたてば生ぬるくなってしまう。

そこで、氷をペットボトルに入れようと考えた。氷は大きな袋のものでは多いので少ないものを探すと、ポリ容器に入った小さなブロックの氷があった。これを給水ボトルに入れると、少しはましだろう。

店内は寒いぐらいクーラーがきいている。この状態で一日いたら身体が変になるだろうと余計な心配をして、灼熱の外に出た。

井戸寺では、結局人が集まっていて、ここでも若いお遍路の人が目立った。10時15分に出発。井戸寺から第18番札所恩山寺までは18キロ。

ここで30号線に出ればよいものを192号線に出てしまった。この井戸寺ではどういうわけか方向音痴になってしまう。最短距離より2キロぐらいはロスしただろうか。192号線を徳島の駅のほうへ向かう。

先回来た時は阿波踊りの真最中で、街は人でごった返していた。今日は、祭りの後の何とないけだるさが感じられる。人々のエネルギーが祭りで出尽くしたのだろう、妙にひっそりとしている。

192号線から428号線に入り、昼食のための食堂を探すが、開いているのはラーメン屋ばかり。お目当てのうどん屋がなかなか見つからない。きょろきょろしながら、ずっと歩き続ける。

なかなか見つからず、休憩もしたかったので、喫茶店に入ることにする。カフェ・ド・ロポというしゃれた名前のお店に入る。

決断

このまま歩き続けるか、区切りをつけるか決めなければと道々考えていた。区切りうちなので、できるだけ駅に近いところで区切りをつけたほうが都合がよい。それと、今年の暑さははんぱじゃない。

自転車遍路では、結構走っているときは涼しかった。しかし、路面の温度が自分の体温より高いところを歩いていたのではどうしても熱がどうしてもこもってしまう。

特にシューズの中の温度はかなり上がっているだろう。履いているウォーキングシューズは通気性がいまいちだったことも影響している。ランニングシューズの方が、クッション性は悪かったが通気性は良かった。

今までフルマラソンさらにはそれ以上の距離の100キロマラソンを走っても、足にマメができることは全くといっていいほどなかった。足に熱がこもってマメができやすくなっている。

これから先もっとできるかもしれない。オタオタと歩いている自分を想像してなんとなく情けなくなった。大股でスタコラサッサと歩いているイメージが私には強い。歩いているとあれこれ考えるものである。

結局、予定の日程を2日間縮めて立江寺で区切ることに決める。バス会社に電話を入れ、今日の夜の8時30分のバスに変更する。昼食はカレーを食べる。

遠くて辛かった恩山寺への道

この喫茶店で30分休憩した後恩山寺に向かう。ことのほか距離があり、しかも136号線は55号線に合流すると、片側2車線で車の数が一気にふえ、日がさえぎるものが何もなくなくただでさえ暑い中、排気ガスでさらに暑くなってなんとも大変だった。

そう言えば、自転車お遍路のときも異常に暑かったことを覚えている。この18キロは今回のお遍路で一番こたえた。この間でマメは更に増えたようだ。歩きにくい。立江寺で区切ることで正解だったのだ。

次回は靴の選択で間違わないようにしたい。恩山寺には3時30分に到着。門前の手前で第19番札所立江寺への近道と書いてあったので、納経の係りの方にその道を聞いてみると「まむしがでるから止めた方がいい。」とのこと。

ところで焼山寺で見かけたヘビはまむしだったのだろうか? 結構草むらの道を歩いたぞ。「知らぬが仏」とはこういうことを言うのだろう。

余談になるが、お遍路から帰って自宅から日頃ランニングの出発の起点にしている毘沙門公園までの山道でであったヘビはやせ細っていた。

それにひきかえ焼山寺の手前で見かけたヘビは丸々と太っていた。餌の差、自然にも格差があることがお遍路にでかけたおかげで身をもって体験することができた。

3時50分に恩山寺出発。住宅と水田が交互に見られる道を歩く。

区切りの最後のお寺立江寺

水田から送られてくるひんやりとした冷気がうれしい。立江寺には4時45分に到着。納経を先にすまして、区切りの最後のお寺なのでゆっくりとお参りする。

5時14分に立江寺を出発。立江駅までは500メートルとあるが、マメのおかげでうまく歩けない。とにかく、駅までの道のりが異常に遠く感じられた。

運よくJR牟岐線5時28分発の徳島行きがあった。駅で汗ばんだTシャツと靴下を着替えた。マメは両足とも5個ずつできていた。このマメは電車の乗っている間に、針でつぶした。白衣のズボンは、電車のトイレで着替えた。

電車はすいていて、ゆっくり走る車窓から四国の田園風景が見渡せる。4日間の短い歩きお遍路のことを頭の中で日めくりながら、その余韻を楽しんだ。

1時間近くかけて徳島駅に。8時30分のバスに乗り三宮にもどった。徳島も三宮も人であふれ、せかせかと時間に追われている。そんな中で、ゆっくりとした時間の中で過ごした私は、さながら自然からもどった異邦人のようであった。

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