子どもを読書好きにする苦楽園読書くらぶ

読書をするとはどういうことか

「読書をする」とはどういうことか

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読書の仕方は習ったか?

「あなたは読書のし方を習ったと思いますか?」こう質問するとたいていの人は習っていないと答えるのではないでしょうか。

そうです、「本を読みなさい」とは言われますが、「本の読み方」を教えてもらっていないのですから、教えてもらっていないことをやりなさいと言われてもできないのは当たり前です。

でも言葉でこうしなさいと教えてもらっていなくても実際は読むことの導入は確かになされているのですが、ただ気づいていないだけのことです。

その導入とはだれでもやったであろう「音読」のことです。音読は低学年のうちはそれこそ毎日、毎時間徹底的にやらされます。最近は読み取り重視のため軽視される傾向にあることが残念です。

読書することの本質

音読させると、その子どもがどのように本を読んでいるかが、すぐに分かります。また、音読によって本を読むときに目で字を追いながら音声を聞く習慣が身につきます。

高学年になると読み取りが中心となり音読よりももっぱら黙読する方向に移行していきます。人間は言語情報を音声に変えることにより悩(ウェルケニッケ言語中枢)へ送っています。

当然、黙読となると音声は入ってきませんから、情報伝達はなされません。低学年の子どもは、文章を読むのにブツブツひとりごとのように言って読みます。これは文章を黙読では頭の中にインプットできないので、音読して文章を音声化していることにほかなりません。

これを禁止するとその子どもは文章を音声化できないので、文章の内容を全く把握できません。高学年になるにしたがってこのブツブツ言うことが、他の人の妨げになるからいけないと教えられます。そして半強制的に黙読させられます。

この黙読ができることを「言葉の内言化」といっていますが、ただ目で文字だけを追っているだけでは頭の中に文章をインプットできないのは先に書いた通りです。

そういう意味では高学年になるほど、目だけで文章を追って文章の中身がつかめないという子ども達が多く存在するのはあたり前のことだと思われます。

ところが、音読をたくさんやってきた子どもは頭の中で文字を音声化し、あたかも声を出して音読していたときのように、文字を追いながら文章を読むことができるのです。

つまり、「頭の中で声を出して読んでいるというイメージ」が定着するのです。これが、本を読むということの本質です。本来動物は音声を聞くことにより、種々の情報を得ていますが、唯一文字をもっている人間は音声がなくても文字からの情報をこうして得ることができるのです。

1倍速が聞けない子どもと追唱

次のようなことがありました。読書くらぶに入ってきた小学2年生の子どもが1倍速の音声が聞き取れていないことが分かりました。
1倍速は通常私たちがしている会話のスピードです。それが聞き取れていないということは先生の話している内容はまるで分かっていないということになります。

そこで次のようなトレーニングをしました。最初0.8倍速から1倍速、1.2倍速と段階的に上げていき、また1倍速、0.8倍速にもどるというものです。ちょうど左右対称の山型に音声を変化させます。トレーニング時間は7分間で、1週間に1回読書くらぶにきています。

3ヶ月位たった頃、学校の先生から「音読がうまくなりました」と言われたと、お母さんから聞きました。読書くらぶでは音読の指導をしておりません。

この経験を分析すると次のように考えることができます。この子どもは今まで耳で聞いたことを追唱(追唱とは人と話している時、相手の話を理解しながら相手のしゃべっている言葉をそっくり頭の中で繰り返すこと。本を読むときもこの追唱をしている。

詳しくは『追唱について』をご覧ください。)できていなかったのが追唱できるようになり、音声として確実に脳にインプットされるようになったと考えられます。

今まで、先生の音読や、他の人の音読の音声が脳に届いていなかった。それがしっかり聞けるようになったことにより、他の人の音読をまねることができるようになって、音読がきちんとできるようになったと考えられます。

また、読書を全くやっていなかったこの子どもにとって、読書くらぶでの読書が色んな語彙、表現を知る絶好の機会となり、文字に対する抵抗感が薄れたことも相乗効果としてあったことは見逃せません。

この追唱という機能は人間以外の動物ももっていると考えられます。たとえば、身近な例で言うとオウムです。彼らは人の音声をまねることができます。つまり人の音声をそっくり追唱して、それをそっくり出していると考えられます。そして、多くの動物もこの追唱の機能をもつことで、仲間との情報交換をしています。

読書をするには

 いままでのことをまとめると、本を読むためには
(1)まず人の話しを聞くことができる。(追唱の機能をもっている。)
(2)音読という経験をもっている。
ことが最低限必要です。

(1)は小さい子どもの頃の「読みきかせ」により育てられると考えられます。明治維新の思想的な支柱となった吉田松陰やノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士は小さい子どものころに四書五経の素読(音読)をして育ったと言われていますが、これが追唱の力を育てたことは言うまでもありません。

また世界的に優秀であり、多くの経済界を握っているユダヤの教育方法にもその一端が見られます。ユダヤの子ども達は3才になるとユダヤ人の国語であるヘブライ語を教えられ始め、次にチューマという祈祷書を暗記させられます。5才になると聖書トーラの暗記が始まります。

7才までにモーゼ5書「創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記」を覚えさせられます。7才になると旧約聖書の残りの部分とタルムードの初歩的手ほどきを受けます。

小さい頃から生活の基盤となっている聖書をメロディにのって暗記させられます。文字はまだそれ程知りません。何回も耳で聴き、暗唱します。このことにより、追唱のゆるぎない力が培われるのは当たり前です。

先の1倍速が聞けない子どもの小さい頃の環境を聞くと、母親が働いているため子どもの世話を母親がするのでなく、兄、姉にまかせられたらしい。読み聞かせも当然なく、その子どもの言葉の遅れと同時に、追唱の力が育つ機会を失ったと考えられます。

『わが子に伝える絶対語感』の著者である外山滋比古氏が母親の役割を次の様に述べています。「子育てで一番大切なことは、幼い子にことばを教えることであり、お母さんはことばの最初の先生です。それをはっきりと自覚しているお母さんは、昔からきわめてすくないのではないでしょうか。

日本人にうまれれば日本語は勝手に覚えていくものだという誤った考えもここからでてきています。」(2)の音読については、「読書することの本質」のところで詳しく述べましたが、もう一度まとめると音読は「言葉の内言化」つまり「頭の中で声をだして読むイメージ」を形成するのに不可欠であることです。

高学力の子どもがおしなべて音読がじょうずである事実ももっともなことです。

目のことばと耳のことば

文字に代表される「目のことば」が重視されるあまり、日本人は欧米人などと比べると人の言葉で代表される「耳のことば」を軽視することにより、話しを「聴く」ことが下手と言われています。このことは、じっくり人の話を聞けない子どもをはじめとして、国会でちんぷんかんぷんな議論をしている議員にいたるまで、あらゆる場面で実感させられているのではないしょうか。それは子どもの頃の「聴く」しつけがしっかりなされていないことに原因があるようです。最近の幼児教育での早期の文字等の導入による「目のことば」優先の風潮はこれを助長しているように思われます。読書くらぶでは、小学1年生より小さいお子さんには、お母さんに愛情のこもった声で「読み聞かせ」をしていただくようお願いしています。それは「耳のことば」を大切にしていただきたいとの思いからです。「目のことば」を決していそいではいけません。「聴く」ことがおろそかになるからです。

読書くらぶでは

読書くらぶでは、本を読む時、耳で朗読を聴きながら、目は字を追います。丁度音読しているのと同じ状態となり、追唱を強力に後押しするので、本の内容がしっかり頭の中に送りこまれます。

音声情報を1、目からの文字情報を1とすると両方同時に見・聴きすることにより、その情報量は5~6倍にもはねあがります。

また「頭の中で声を出して読むイメージ」が定着し、本を読むことが非常に容易になります。本の内容もよくつかめるので、本を読むことが好きになります。

そして、このイメージが一旦形成されると、ふつうに本を読むときも同じイメージでよむようになるので、読書そのものに対する抵抗感がなくなり、読書好きになるための好循環が生まれます。(別紙アンケートをご覧下さい。)

本好きの子どもは尚一層本の内容を把握し、またより集中した深い読書をするようになります。

 こうしてみると、小さい頃の「読み聞かせ」や「音読する」ことが、『読書ができる』ために果たしている役割は非常に大きいということが分かります。

                     
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